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失敗から生まれたお母さんの味
みなさん、お母さんの味ってありますか?
私が強く記憶しているのは「野菜炒め」です。
とんでもなく美味しいイメージだけが強く残っているんですよね。
ちなみに、お母さんの味が飽きない理由を本気で調べた学者がいました。
その学者曰く
「母の味」は毎日微妙に変化があり、常に一定の味ではない
ゆえに、これが「母の味」であると数値化できない。
この微妙な変化があるため、同じ味付けでも、毎日食べれる。
だそうです。
確かに、同じ人が毎日3食味付けすれば同じ味になって、それを数十年間食べ続けるって正直無理ですよね?
同じ飲食店のご飯を3食、20年間食べ続ける。
ってよくよく考えたら正気の沙汰ではない。
微妙な味の変化があるからこそ、毎日食べられる。
料理のレパートリーというより、塩加減や焼き加減などの本当に微妙な差が毎日あるそうです。
逆に、その日の湿度や気温、食材の個体値を見極めて一定の味に整えるのが、飲食店で、いつも同じ味に均一化する必要があり、これがお店への信頼になる訳ですね。
では今回は、そんな母の味の代名詞「肉じゃが」の誕生秘話について深掘りしていこうと思います。
さて、肉じゃがの歴史をご存知の方はいらっしゃいますか?
意外にも肉じゃがの歴史は浅く、文字として「肉じゃが」と残っている一番古いものは1964年の料理本だそうです。
似たような料理はもちろん日本各地にありますが、その料理を「肉じゃが」と呼称されたのは、今から60年前で「母の味」の代名詞な割には歴史が浅い料理です。
また、母の味と言えば「肉じゃが」と言われ出したのは、さらに後の頃で1980年ぐらいだとされており、母の味=肉じゃが というイメージは実は40年程度なんです。
そんな肉じゃがですが、発祥は海軍、ときの司令長官「東郷平八郎」のわがままから始まったとされています。
(諸説あります)
東郷平八郎は、留学先のイギリスで食べたビーフシチューが食べたくて、海軍の料理人にビーフシチューを作るように指示しました。
しかし、その時の料理人はビーフシチューが何か知らず、説明だけを聞いて作ったそうです。
ワイン、バターがないので、醤油と砂糖を使い雰囲気で作ったら「肉じゃが」になったそうです。
これを「まいづる肉じゃが」と呼び、京都府舞鶴市のご当地グルメになっているそうです。
ちなみに、じゃがいもは、男爵いもだそうです。
ちなみに、この説には反対の説や芋の煮っころがしが起源など様々な説がありますので、ご容赦ください。
結果として、成功だった肉じゃがですが、ビーフシチューを作ろうとした失敗作が今のお母さんの味の代名詞である料理になったと考えると面白いですよね?
これは余談ですが、失敗から生まれた料理をもう一つ
あるレストランで、わがままなお客様が料理長に無茶な要望を言いました。
「このポテト分厚くて食べにくいからもう少し薄くしてくれないか?」
「・・・分かりました」
料理長は、心では
「肉の付け合せのポテトぐらいにいちゃもんつけんなよ」
と思っていました。
「こちらでいかがでしょうか?」
と少し薄く切ってお出ししました。
「いや、なにも変わってないじゃん」
と言われた料理長は、ブチギレ
「おーおー分かった。スライサー持って来い」
とスライサーでポテトをスライスして、油で揚げて出しました。
そして、生まれたのがポテトチップスでした。
いかがでしょうか?
肉じゃがも、ポテトチップスも失敗作でしたが、料理人として最低限美味しいものは出そうとするプロ根性があったからこそ、失敗作でも結果、美味しいものができた。という料理人の凄さをどこか感じるエピソードでしたね。
ちなみに、誕生当時はスライサーではなく包丁で薄く切っています。
すいません。少し着色しました。
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